ひとくち講座

向き合おう!家族(その1)断酒と家族全体の回復

はじめに

アルコール依存症に関連して『地獄を見たければアルコール家庭を見よ』と言われることがあります。アルコール依存症が原因で時として、精神的、身体的、経済的、また社会的にドン底状態に追い込まれた悲惨な家族の状況を表現する言葉です。では、依存症当事者が断酒を決意し、断酒継続の生活を送れば、本人の回復とともに、家族もまた歩調を合わせて回復していくのかというと、そうでもないのです。むしろ断酒後にいろいろな問題が起こる場合もあるのです。

1.依存症者本人の問題

断酒した当事者は長い飲酒時代には家族に対しては殆んど無関心に近い状態で生きてきています。それが断酒と同時に家族に関心を向けようとしても、家族の実状や心情を理解できていませんから、新たなトラブルを招いて孤立してしまったり、逆に途方にくれて、関わるのを止めてしまったりという状態になりかねません。こうなりますと、「酒を止めてやっているのに、これ以上何を期待するのだ」と居直っているのかと思える当事者もでてきます。

2.家族の問題

一方の家族にしてみると、長年の飲酒生活の体験からくる恨みつらみ、惨めさ、悲しさは、到底、一朝一夕に解消できるものではなく、当事者に対して限りなく償いを求め、ひいては被害感と自己憐憫に居直る結果となります。場合によっては、当事者が家庭内の責任を担おうとすることに反発することすら起きてしまいます。

3.回復への道のり

このように当事者の断酒が続けば、家族関係や社会生活上の問題は自然に解消されていくと考えるのは楽観的に過ぎるということが分かります。一旦機能不全に陥った家族を回復させるのは難しいのです。
その再建には当事者、家族の意識的努力と専門家の援助が必要です。

当事者は断酒という行為に留まらず、「断酒を軸とした人間としての成長」に積極的に取り組まねばなりません。そのために必要とされるのが自助グループの中で自らの過去と現在を問い直し、語り、仲間の体験談を聴き重ね「気付き」を得ることです。
家族もまた、飲酒問題に打ちひしがれ、被害者意識と自己憐憫に囚われ、自らの変化と成長を忘れてきています。家族も自分自身に眼を向け、過去にとらわれず、現在と将来の充実に焦点を合わせ、人間としての成長をしていく取り組みが大切です。そのためにも自助グループに参加し、体験を語り、仲間のそれを聴き重ね、自分を被害者意識と自己憐憫から解放しなければなりません。

4.医療機関、自助グループに求められること

従来、専門家はアルコール依存症からの回復は順調に行っても数年の歳月はかかると明言しながらも、実際は断酒後半年~1年は治療を継続することを勧めているにすぎませんでした。
これは身体的、精神的回復のことで、以後の家族的、社会的回復は含まれていないと言えます。

「医療としては人間としての生き方までは口を挟めない」という理由で、家族的、社会的回復部分を自助グループに丸投げして期待してきたと言えます。今後は医師以外のソーシャルワーカーや臨床心理士が中心となった息の長いフォローアップが望まれます。
一方、自助グループは「酒を止めた後にどのような問題が残り、それにどのように取り組むのか」という問題を明確化する作業を行い、それを先達が実行していくことで、自助グループとしての文化を根付かせる努力を続けるよう期待されています。
(本文は福井県立大学 西川京子先生の論文から編集しました)