酒を断ち、それを継続するには、お酒を飲んでいた時の生活習慣やモノの考え方を変えて新しい人生を創っていかなければなりません。単にお酒を止めているだけでは、周囲の状況が改善されることはなく飲酒時代と変わらない、生きづらい毎日が続きます。
アルコール依存症は否認の病と言われます。否認は2段階です。
自分の問題は酒だけではなく、「その根は別の所にある、その根を断たなければいけない」と気づき、この二つ目の否認を解くことで新しい道が開けます。
人は自分に不都合なことは認めたくないからです。
不都合とは、「アル中」とレッテルを貼られる嫌悪感、 世間から疎外される孤立感、酒を飲めなくなるという恐怖感などです。
酒を奪われれば心の安定が保てなくなるという脅えが根底にあります。
「否認」は自分を脅かすものから身を守ろうとする心の構え。
認めないのではなく認めたくないのです。
飲み続けるしかありません。
「アルコール依存症ではない」のですから酒の飲み方には何の問題もないことになり、断酒をしなければならない理由がありません。
問題がさらに深刻化し、やがて底を打ち、アルコール依存症と認めざるを得ない日まで飲み続けることになります。
「酒をコントロールできない」と認めることです。
酒に対して無条件降伏することです。「やめなければ解雇(離婚)といった他からの説得や強要ではなく、自分で納得して認めることが大切です。
医師の告知、依存症と認めている人との共通体験、招いた結果の重大さなどが認める契機となります。
「断酒」へ踏み出します。
酒浸りの生活を改め、酒の支配から脱しようとします。
節酒や一時の禁酒でなく「断酒」を決意し、自分一人では不可能と認め他に援助を求めます。
家族、医療、自助グループなどの支援を受けながら、 徐々に断酒生活を実現していきます。 「新生」への第一歩です。
すべてを酒のせいにしたいからです。
すべては酒から始まった。諸悪の根元は酒である。
その酒を断ったので一件落着…そう思いたいのです。
飲酒に駆り立てた原因を見つめることは、飲んで犯した 不始末を認めることより辛いのかもしれません。「第一の否認」同様、認めないのではなく、認めたくないのです。
何も変わりません。
酒を飲んでいないだけで考え方や行動は変わりません。
「飲まなければ問題はない」のですから変える理由がありません。
当然ながら「飲酒」時代と変わらない思考や行動パターンを繰り返します。心は不安定なのに酒は飲めず、「ガマンの断酒」を強いられます。苦しく、また危うい状態です。
「酒」ではなく、自分の問題として認めることです。
私たちはあまりにも多くのものを失ってきました。
「酒が好き」だけでは説明できません。
私たちには飲む理由がありました。 酒の力を借りなければ心の安定が保てなかったからです。
飲み過ぎてアルコール依存症になったのではなく、依存症になるまで飲まなければ生きて来られなかった…この事実を認めることです。
自分に真摯に向き合うようになります。
なぜ酒なしでは生きられなかったか。自分を酒に駆り立てたものは何か。
酒と引き替えに何を得たかったのか…。自分と正面から向き合います。
自分を白紙に戻す謙虚さ、自分の弱さを直視する勇気、 自分を見通す知力が求められます。自らの「問題」を受け入れたとき、酒を必要としない生き方、「断酒新生」が始まります。