46年10月、全断連事務局より断酒情報第1号「断酒会結成のしおり」が発刊されたのを皮切りに、「入院中のなかまへ」「断酒会さまざま」など冊子が次々と発刊された。また全国大会ごとに刊行していた「躍進する全断連」の内容も、啓発的なものへと改革していった。48年 3月には機関紙「全断連」が創刊され、59年より「かがり火」に改名される。
また、46年ごろから連盟の組織活動は急激に活発化し、関東、中部、北陸、近畿を中心に続々断酒会が結成されていくとともに、地域断酒会では地方行政機関、病院とタイアップし、また1保健所1断酒会をスローガンに、保健所と連携するとともに、酒害者の社会復帰へのきめこまかい活動が浸透していった。